「損得勘定」って、ビジネス用語の1つになるのかなって思うんだけど、一般生活の人間関係にも関連している概念だよね。
俺も昔は、この「損得勘定」で物事を選ぶ時期があった。
そもそも損得で物事を判別していることを「なくしたい」とか「やめたい」っていう意思があるってことは、心のなかに大小関係なく「罪悪感がある」ってことだよね。
その罪悪感を払拭したいと思っているから、「なくしたい」「やめたい」という願望が内側から生まれているんだ。
だから、まずやるべきことは、損得勘定をしてしまう自分の心の内側をしっかりと覗き込んで、自分の本当の望みが何なのかを受け入れることがファーストステップになるよ。
ということを前提に今日のブログでは、「心に従う」をテーマに書いていくね。
損得勘定を「やめたい・なくす」その罪悪感の正体とは
損得で物事を判別・判断したりするってことは、「損をするのが恐い」っていう感覚が前提にあるってことだよね。
「得をしたい」「損をしたくない」という思考からの選択には、心の根幹に「損をするのが恐い」という恐れが眠っているんだ。
その恐れを感じたくないから、「得をする」ように思考が働き、それゆえの行動をしてしまうのだと思う。
じゃなかったら、そもそも「損をするか・しないか」なんて考えもしないからね。
心の根幹に「損をするのが恐い」という “恐れ” があるまま目の前の選択をしていくと、一見、得をしているような現実が創造される。
だけどこのカラクリを紐解いていくと、それは幻想で、また同じように「損をするのが恐い」と感じる現実が創造され続けてしまうんだよね。
つまり、損得勘定を「やめたい・なくしたい」という願望があるなら、まずやるべきことは「損をするのが恐い」という感覚が自分の心の根幹にあることを、しっかり感じてあげること。しっかり受け止めてあげることだ大事なんだ。
誰しもが “本当は”、損得で物事の判断をしたいわけではなく、自分の心が感じるままを選びたいんだよね。
この “本当は” が肝で、自分の本音を伏せてしまうから、自分に対しての罪悪感が生まれてしまう。罪悪感というものは、他人に対して生まれる感覚ではなく、自分自身に対して生まれる感覚なんだ。
だけど目の前の事象に対して、理性で損得勘定をしてしまう自分がいる。
そうやって損得という視点をもとに、自分の本音を無視しているから罪悪感が湧いてしまうんだ。
したがって、その罪悪感の正体は、自分の純粋な心の声を無視していることに対して湧き上がってくる感覚になるよ。
損得勘定より、心に従う
「損をするのか」「得をするのか」この二択以前に、「自分の本音はどこに在るのか?」これを大切にしてほしいんだ。
損得勘定を「やめたい・なくしたい」って思っているってことは、「自分の感じるがままに選びたい」っていう願望があるってことだよ。
でも純粋にそれを選べないってことは、先にも伝えたように「損をするのが恐い」という恐れと向き合えていない証拠だね。
だから、「自分のなかで何を恐れているのか?」に気づくことができれば、「自分の選択したことが損をしようが、得をしようが、どちらでも構わない」という結論に行き着くはず。
だってどんな結果になったとしても、恐くなくなるもん。
物事は、どのように解釈するかが重要なんだ。
起きた事象が重要なのではないよ。
どんなに嫌な体験をしたとしても、そこには強烈な望みを放つチャンスが眠っている。
もし、その強烈な望みを放つチャンスに恵まれたのだとしたら、それは嫌な体験があったおかげという解釈ができるはずだよ。
こういう思考と選択を繰り返していくと、目の前の恐れは大したことではなかったことに気付けるようになっていくんだ。
知識だけインプットしていても意味ないから、アウトプットして着実に成長していこうね。
今日も読んでくれてありがとう。
応援しているよ。
DAisuke