「imacoco 能力開花プログラム」開始までにやってきたこと

本記事では、HAPPYちゃんの有料コミュニティ「imacoco7Daysプログラム」の配信を終えてから、「imacoco能力開花プログラム」開始までの期間(主に5月中)に俺が体験したことをシェアしているよ。

もくじ

食事のとき「動画」「スマホ」を観るのをやめた

自宅で食事するときは、基本的に何かしらの動画を観ながら食事していた。けど、それをやめた。

食事しながら何か他のことに意識が向くと、味覚が鈍り、味わうという感覚が途切れることがあることは以前から感じていた。

イマココの配信が終わったことを機に、食事中は食事に集中することを決意。

継続した結果、「食を楽しむ」という感覚や「味わう」という感覚を大切にできるようになった。

食事中、咀嚼している間は目を閉じるようになった

どうせなら、もっと感覚を研ぎ澄ませたいと思った俺は、食事中の咀嚼時間を目を瞑るようになった。名付けて「瞑想食」。

そうして瞑想食をするようになってからは、口の中に感覚が集中するようになった。すると、味覚が高まるだけでなく、「噛む」という感覚から、いま口の中に入れた何がどのような状態になって・・・みたいに口の中の感覚とデータが頭の中に反映されているような感じになった。

咀嚼時間も長くなるのでその分、食事の時間は長くなったけど、イマココに集中できる体験が増えたし、食事中に頭の中が忙しくならないのは非常に良いことだと思った。

「お金のために」何かをするのをやめた

“お金のために” 何かするのをやめて、自分の「心地いい」「楽しい」を最優先するように変えた。

「イラスト」や「アート」で例えるなら、「描いたイラストは販売してお金に変えなければならない」とか「アートは、◯◯万円で販売して売りたい」というような発想を捨てた。

この思考がクリエイションの根幹にあると、最高の作品って生まれない。

よくHAPPYちゃんが、「自分のやりたいことをお金に変えなければいけないと思ってませんか?」みたいなフレーズを言っていたんだけど、結構この泥沼に俺はハマっていたみたい。(←見て見ぬ振りしてた)

もう何年も、「なんか最高傑作品が生まれない。スランプを感じる・・・」とか思っていたけど、「自分のやりたいこととお金を結びつける」という公式が俺の創造力を半減させていたことにようやく気づいた。

その後、イラストは完全に趣味というレッテルを自分に貼り付けた。だから、描いたイラストでお金を稼ぐ必要もなければ、お金のためにイラストを描く必要もなくなった。

だからイラストを描く一番の目的は、「ただ iPad Pro の画面上でペンシルをスリスリしながら好きな音楽聴いている時間が俺にとっては最高に心地良い何にも代え難い状態。だから描いている。」このように変わった。

そうやって描いていると、しばらく眠っていた、もしくは自ら閉ざしていた自分の創造力が内から湧き出てきて、発想も豊かになり、良い作品が描けるようになった。

そうしていると結果的に、売ろうと頑張らなくても作品は売れてしまうんだね。

「あぁ、HAPPYちゃんが言っていることってこういうことだったんだ」

ようやく腑に落ちた。

自分の喜びをストイックに観察していくと体験することが変わる

上記に引き続き、自分の「心地よさ」や「楽しみ」「喜び」を観察していき、行動に移していくと生み出すものも変わっていった。

桐島まみ様 LINE公式アカウント プロフィール背景デザイン
桐島まみ様 LINE公式アカウント プロフィール背景デザイン

こちらは、「LINE公式アカウントの背景デザイン」と「アメブロのヘッダーデザイン」として制作したクライアントの作品。

結構久しぶりにこういうデザインを制作したのは、お金を稼ぐためのデザインではなく、自分が楽しめるデザインを創りたいと思えたから。

自分の内側に意識を向け、イマココを意識するようになったら創造するキャパが拡大した。

またしても、「あぁ、HAPPYちゃんが言っていることってこういうことだったんだ」って思えるような体験をする。

ただ、この作品。ちょっと裏話があるので、次項と連動してお伝えするね。

乃木坂46、10周年ライブからの5つ星ホテル初体験

2017年からファンだった乃木坂46。結成10周年を迎えた記念すべきライブが2022年5月14・15日に開催された。奇跡的に抽選に当選した俺は、2日目のライブに参加できることになった。

「あぁ、きっとライブを終えて帰宅するころには、めちゃくちゃ良かったなぁ…なんて思いながら良い気分でその日を終えてるんだろうなぁ」

こんな感じで気分を先取りしていた。

そんなシュミレーションみたいなことをしていたら、「ライブ終わりの良い気分を増幅させたい」という願望が内から湧いた。

ライブ開催場が新横浜だったのでライブ後の帰宅時間を入れると自宅に到着するのは23時ころ。

「帰宅して風呂に入って…」なんてことを考えていたら就寝時間が1時ころになると思うと、少し嫌な気分になった。

せっかく良い気分なのにそれって勿体ないような気がする・・・、「じゃあ、どうしたい?一泊したい!それじゃあ、一泊しよう!」という結論に。

そうして新横浜ホテル界隈を検索。「新横浜 高級ホテル」で検索した。

実はこの俺、38歳にして自分でお金を出して一泊1万円以上のホテルに泊まったことがない。

「ホテルなんてどうせ寝るだけだし、高いお金出して泊まるのは “勿体ない” 」

そう思っていた。

そんな俺がこの度、乃木坂46の10周年ライブを終えたときの良い気分をシュミレーションした結果、高級ホテルに泊まろうとしている。

もちろん、めちゃくちゃ躊躇した。

検索して表示された5つ星ホテルがあり、料金を調べてみるとスタンダードクラスで5万円弱。

「ほぉ、ほぉ」

内装も雰囲気も好みだったので、泊まりたいという欲求は高まった。

がしかし、とりあえず内容を把握してブラウザのタブを閉じる。

「まだ、ライブ当日まで1ヶ月半あるし、とりあえず少し考えよう」

こんな感じでしばらく過ごした。

その後も、ライブ当日に近づいてくるにつれ、ホテルに泊まるのか?泊まらないのか?と燻る日々が続く。

そうしてライブ当日から一ヶ月前になった頃、再び宿泊予約ページにアクセスした。内容をもう一度調べてみた結果、3日前まではキャンセル料はかからないとのこと。

「だったら、とりあえず予約だけしてみよう」と思い、一歩前進した。

そうしてライブ当日と宿泊当日までの期間、「泊まるのか?泊まらないのか?」を節目節目で自問する日々が続く。

「やっぱり止めておいたほうがいいんじゃない?だって、一泊するだけで5万円だよ?5万円あったら、まぁまぁな体験できたり、それなりに良いモノ買えるよ?ライブ終わるのだって21時頃だし、そのあと会場を出るまでに人混みで時間かかるし、ホテルまでの移動時間を入れたら到着するの早くても22時ころだよ?寝るだけなのに勿体ないんじゃない?また今度にすれば?」

はい、エゴキンマン出現。

「そんなことは分かってる。それでも俺は、もっと良い気分を味わってみたいんだ。チャレンジしてみたいんだ。」

そんなやりとりを一人でしている。

そうして過ごすこと宿泊する3日前。金銭的な感覚や効率的な思考ではなく、自分の感覚を決め手に、思い切って宿泊することにした。

10周年ライブがまさかの展開に・・・

乃木坂46の大きな節目となる10周年ライブ当日。これまで音楽ライブに行った経験は、美容師時代の先輩が Beyonce(ビヨンセ)のライブに連れて行ってくれた以来だから、18年ぶりくらいかw

会場の最寄り駅から会場までの道のりが乃木ヲタでいっぱい。

「へぇ〜、こういう感じなんだ」

そんなことを感じながら一人、ライブ会場にINした。

席の右隣は、THE 大学生って感じのよく一人でブツブツ喋るうるせーヤツ。乃木坂は好きだけど、一人ではライブ行くの気まずいから無理やり乃木坂のファンじゃない友達を誘って参加したタイプ。(一人でよくしゃべっているから推測できた)

席の左隣りは、THE 乃木ヲタって感じのヤツだった。「おぉ〜、お前が乃木ヲタかぁ〜」って感じで正直清潔感がなくキモい。

まぁ、こんな2人に挟まれてライブはスタートした。

さぁ、ここからがメインのお話。

まず、俺の席からは乃木坂ちゃん達が小粒にしか見えず、何となくぼんやりシルエットと動きを確認することで誰なのかが分かるような距離感。

巨大モニターがあるから皆の顔や動きは観えるよ。

でも、それじゃ自宅でライブストリーミング配信を観ているのと何ひとつ変わらない状況だった。歌が上手な子はいるけど、集団で歌うアーティストだし、歌唱力に感動するような場面は無いに等しいからね。

それを踏まえると、自宅で観ている方がマシ。正直そう思った。

なぜなら、両隣の男どもが臭くてキモいから。(← 言い方)

俺の五感は、人一倍敏感で、嗅覚は結構高いほう。

ライブ開始直前から気合を入れるためなのか、両隣の男どもがレッド・ブルーを飲みだす。ライブが始まると「ヒューヒュー」言ったりするので(← なんで二人とも?)、息が臭い。叫ぶの禁止って言っているのに叫ぶのでその香料が隣の俺のもとに届いてしまう。だから、臭い。席も密集型なので、ヒートアップして動きが盛んになると俺に接触してくるしで、ライブが盛り上がってくると同時に俺はどんどんこの場から去りたくなっていた。

ライブは10周年ということもあり、過去にセンターを務めた「西野七瀬」が卒業シングルの楽曲にサプライズで参加したりで会場は大盛り上がり。(← ちなみに鳥肌たった)

この前の段階で、「あっ、帰りてぇ」って心のなかでボソッと呟いていた俺も、西野七瀬が出現したことで少し収まった。

その後、「白石麻衣」もサプライズで参加。レコード大賞にもなったシンクロニシティで会場は更に大盛り上がり。

でも俺の気分は最悪だった。

会場が盛り上がれば盛り上がるほど、俺のストレスは高まった。だから、このときの記憶がストレスでほぼ無い。

予想とは真っ逆さまの展開。良い気分でライブ会場を去る自分のイメージは崩壊していた。

こんなときこそ、「イマココ」に意識を向けるべき。

その後、俺はどうしたのかというと、会場から退場した。

ここでストレスを感じながら “ライブチケット費の1万円” とか “10周年ライブという記念すべき貴重な体験” “会場までの交通費・移動時間” などと引き換えに、「勿体ないから」という理由で最後まで居ても、とうてい楽しむことはできない。であれば、今この時点で退場してホテルに直行し、ホテルの滞在時間を楽しむ方が良いのでは?

今、ここに立ったとき、こっちのほうが心がウキッとしたので、俺は会場を去ることを決意した。

会場を出た瞬間、ホッとした。解放感に満ちていた。

「ライブ開始から1時間もしない状態で良く決断できた」この素晴らしい選択をできた自分を褒めた。

初の高級ホテルにチェックイン

それから初の高級ホテル宿泊へ向かう。

正直そこまで期待はしていなかったが、部屋に到着した直後に感動した。

「えぇーー!!こんな感じなの?めちゃくちゃ良いじゃん」

「あの感覚ってこっちのことだったのかーー!!」

そう、乃木坂ライブを終えたときのシュミレーションをしていた感覚は、ライブそのものではなく、まさかの高級ホテル側だったことをこのときに知る。

久々に心底感動した。

そして、ホテルでこんなに感動できるんだってことを初めて知った。

滞在することによって、「なぜ、ただ泊まるだけなのにわざわざ高いお金を払ってホテルに泊まる人がいるのか?」その答えが自分なりに理解できるようになった。

20時ころにチェックインしたので、食事はコンビニ。食べる前に風呂に入りたいタイプなので、バスタイムへ。

ここのバスルームが最高で、素晴らしかった。

こんな広々としたバスルームで過ごすのは初めて。好きな音楽を流し、浸かりたいだけ浸かる。広々した空間で、好みのデザイン。最高の時間だった。

自分の感覚も思考もかなり緩んでいる状態で過ごしていたら、インスピレーションが湧いてきて、前項のデザイン制作に関連するインスピレーションが湧いてきた。

この感動体験がデザインに伝播した結果、そのままクライアントの声に反映することに。

15時間ほど滞在だったけど、十分過ぎるほどの満足感を得られた。

一見すると、乃木坂46のライブがメインディッシュのようになっていたけど、実はホテルに行かせるためのライブだったんだなと。そしてこの体験がクリエイティブに直結するとは思いもしなかった。

ここでもまた、「あぁ、HAPPYちゃんが言っていることってこういうことだったのかぁ〜」ってなった。

臭くてキモイあいつらにも感謝。

自分を褒めることを習慣化した

いつものストレッチ時間に自分の頭をクシャクシャにしながら撫でて「大丈夫だよ」「天才だ」「最高」「素晴らしい」など、そのときに感じた言葉を自分に投げかける習慣を取り入れた。

はじめは少しだけ抵抗があったけど、すぐに慣れた。

ストレッチ前には、自分の身体に手を当てて感謝する習慣を取り入れた。

この習慣を取り入れてから、「不安」「恐れ」「罪悪感」が圧倒的に減り、「どうせ大丈夫」「何をしたって大丈夫」「愛してる」そんなことを自分に対して想えるように変わった。

そうしていると、結構何やっても自分を責めることをしなくなるので、気が楽。

祖母が他界する

ゴールデンウィーク中に祖母が他界した。

スピ系のことを学んだ結果、宇宙の視点からの肉体の「死」は、どうってことないことなんだけど、人間としてはやっぱり悲しいし、寂しい感情が湧いてくる。

そして、身近な人の死を目の前にすると、やはり自分の死も刻一刻と近づいているんだなぁって染み染み感じる。

「あぁ、母の日に感謝の気持ちを伝えることも、あと数回くらいなのかもしれない」とか

「家族で集まって食事する機会も、もしかしたら数えられるくらいしかないのかもしれない」とか

冷静に考えれば当たり前のことだけど、改めて考えてみるとそれは尊いなぁと思う。

その尊さこそが「イマココ」の真髄なのだと実感。

親戚の家に泊めてもらったときの話

祖母の葬儀後、夕方の新幹線に乗れば夜7時ころには自宅に帰宅できたんだけど、「せっかくだし、急かせかと帰りたいくない」という想いから、親戚の家に泊めてもらうことに。

父は帰宅し、母は祖父の元に宿泊したので俺だけが親戚の家に泊まった。

その日の夜は、親戚の皆と食事しながら楽しんで終わったんだけど、次の日の朝と昼の食事時に「あぁ、こういうときなんだよなぁ。。。」っていうイマココ体験をしたのでシェア。

俺の現在の食生活は、

  • 朝はスムージー
  • 昼はプロテインとゆで卵
  • 夜は自由に好きな物を食べる

そんなサイクルになっている。とくに食事制限をしているわけではなく、自分にとって最高の身体バランスを探求し続けた結果こうなっただけ。

朝はスムージで栄養摂取するくらいの方が身体が軽くなり、頭の回転も良いので基本的にはそんなに食べなくないのが本心。

でもね、親戚の叔母さんも姉の息子が泊まりに来たとなったら、雑な朝食は出したくないと思うよね。今思い返せばそりゃそうだ。当然のようにテーブルの上に用意された俺の朝食は、栄養を考えられたバランスの良い朝食だった。

  • 雑穀米 茶碗一杯分
  • アスパラ焼き 一本分
  • 焼き鮭
  • 豚汁の豚肉抜きの野菜具だくさん味噌汁 茶碗大きめ 量多め

まぁ、もちろん食べようと思えば食べれますよw

「あれぇ?昼にはランチで中華だったよなぁ。。。」

「今の時間は、、、8時過ぎ。」

「この量だと、あと4時間で腹は減らないぞ」

「準備してくれる前に、少しの量で大丈夫って伝えておけばよかった」

「ここの家系、みんな食太いから基本的に量が多いの忘れてた」

俺の頭のなかには、上記の言葉が浮かんでいた。

でもすぐさま「あぁ、こういうときなんだよなぁ。。。イマココって。」と思った。

味は美味しいし、食べたいという欲求はある。でも、そこまでの量は正直食べたくない。なぜなら、身体は欲してないから。

そこで食べながらどうしようか考えた。

でも、無理やり食べても嫌な気分で終わるだけだと思ったし、親戚の叔母さんにも悪い気がするので、とりあえず、「ゆっくり食べよう」という結論に達した。

いつも以上にゆっくりと咀嚼し、味わい、いい眺めの景色を観ながら食べる。それで、本気で食べたくないと思ったら残そう。そんで謝ろう。

そう決めて食べていたら完食できた。(そりゃできるんだけどね)

嫌な気分も無し。OK。

その後は、休憩をはさみ、ゆっくりした後は、祖父の家に行き、母と合流してからホテル内の中華さん屋へ。

12時予約だったので、腹は全く減っていない状態。

おまけに腹の調子が少し悪い。

はい、あなたならどうする??

前提条件は

  • 親戚の叔母さんの旦那さんがご馳走してくれる
  • わざわざ気を使って、ホテル内にある少しお高めなお店を予約してくれた
  • 中華のランチなので、量はまぁまぁある
  • 俺の腹は減ってはいない状態

「どう乗り切るんだ!?俺!!」

「もちろん頑張れば食べれるよ?でも、頑張る必要ある?」

これが俺の内側で発している正直な声だった。

初っ端の料理から、結構辛めの前菜が登場し、腹の調子がやや悪い俺の胃にボディブローをくらわせにきた。

その後もランチタイムでコロナ禍ということもあり回転率もあるのか、早めに料理が出てくる。

そして、腹が減っていないこともあるのか、味は決して美味しいわけでないということ。(親戚の末っ子は、美味しい美味しい言いながら食べてたけどw)

まぁ、ということは俺の味覚がイカれているのでしょう。

そうして、ランチメニューの後半に差し掛かったとき、親戚の叔母さんが「春巻き食べれないからあげる」って俺のもとに皿をよこしてきたよ。

「あれ〜?どういうこと〜??」

「そうか、食べたくないという波動が食べたくない現実を引き寄せたのか?」

「あ〜、俺って願望実現能力高い」

そんなことがありながら実際は少し頑張ってしまい、なんとか完食。

良い気分とはかけ離れた体験をした。

普通に生きていれば、こういう出来事って珍しく感じないし、その体験についてどうこう考えてたりもしないはず。でも、HTLから始まり、イマココで学んだことを実生活で実践していくと、他人と接触したときに「こういうとき、どうしたらいいんだろう?」という問いをする機会は圧倒的に増えた。

「俺は今、どうしたいんだ?」

たぶんというか、間違いなく、イマココの意識を持って過ごすような習慣がなければ、こんな問いかけすら自分にすることもないんだろうな。とも思った。

今回の例でいえば、自分主導なら料理を残せばいいだけの話になるし、そもそも食事すらも行かないという選択もできるわけだけど、アウェイだった場合は、なかなか考えさせられるなぁと痛感。

HAPPYちゃんの青汁体験を思い出しつつ、反省した一日でもあった。

田園で瞑想する時間を大切にした

これはイマココが始まる以前に率先して取り組んでいたことの1つ。

近所が田園なので、そこに一人ポツリと立ち、目を閉じながら自然を感じて呼吸する行為。それが「田園瞑想」。

この時間が心地よく、季節を感じながら過ごせるので習慣の1つになった。

夏場だけは日差しの関係で暑すぎるためできないけど、夏以外を除いた季節はできるので瞑想している。

また、夏前の稲が育ちきる前の段階では一面がグリーン一色になり、風が吹くと太陽の光によってコントラストができて風が走っているかのように観える。あの風景がとてつもなく美しい。

物質的なもので満足感を得ることも悪くはないけど、自然が生んだ美に触れる方が個人的には波動が上がる。

自分の感覚を何よりも優先するようになった

ここが一番自分のなかで変化した点なのかもしれない。

これまでも “自分の感覚” を大切にしてきたつもりだったけど、改めて意識しながら過ごしていると “思考” の方で取捨選択していることが圧倒的に多いことに気づいた。

例えば、何かをする前に「一連の流れをイメージしたあとに選ぶ」とか。「こうこうこうした方が、結果的に良い気分になれるな」とか頭の中でシュミレーションしてから選択することが多かった。自分のなかでは感覚にフォーカスしているつもりだったけど、実は思考にフォーカスした “効率” を意識した選択だったことに気づいた。

それをやめて、「たった今、この瞬間どう感じているのか?」こういうシンプルな問いを自分になげかけるようになった。

それで「嫌な気分を感じているならやめる」「良い気分を感じるならやる」「どちらでもないなら保留する」という3択に振り分けることを徹底してみた。

その結果、結果がどうあれ、「自分の感覚を信じる」ということがデフォルトになったので、自信に繋がった。

何をするにせよ、自分の感覚を信じて選んだことなら結果がどうあれ大丈夫。

そういう生き方に変わった。

この生き方に変わってからは、とにかく先の未来のことを考えることが圧倒的に減った。

一昔前の自分は、「来週はこれをやるからきっとこんな感じになるんだろうな。」とか「来月はこれをやっていこうかな。だから今のうちにこれをやっておいた方がいいな」など、未来に対する不安要素を払拭するような選択をしていたように思う。でも、今は違う。

とにかく自分の感覚を信じて生きていればOK。だって、明日、数日後、一週間後、一ヶ月後なんて何がどう変わっているかなんて全く想像できないんだから。今そんなことを考えても意味ない。そのとき自分が感じるその感覚を信じよう。こっちのほうが、生きていて楽しい。

こんなふうに変わった。

最後に

imacoco7Daysプログラムの配信を終えて、「今ココ」の意味がどういうことだったのかが理解できるようになった。理解できるようになったということは、理解できていなかったということ。

「今ココ」が、たった今この瞬間であることに意識を集中できるようになっていくと、今この瞬間の「美しさ」や「貴重さ」「尊さ」を感じずにはいられないように変わった。

とはいえ、意識を継続していなければ、本当の意味でデフォルト設定にはならないので、やはり意識するのを忘れてしまうときもある。

でも、この分野の探求は楽しい。きっとそれは、このプログラムに参加した皆も同じだと思う。

だから皆で共に成長していけることを今以上に楽しみにしている。

HAPYYちゃん、いつもありがとう!

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もくじ