お金はエネルギー。だから誰のものにもならない

お金って「所有」の意識が常識的なのかもしれない。

けど、お金ってもんは結局のところ誰のものにもならないんだ。

これは俺が金融の世界に踏み入れたことで解ったことでもあってね。

お金は常に流動しているものだから、エネルギーだから、「ただそこに在るだけ」なんだよね。

今日のブログではそんなお金の話をしていくよ。

もくじ

お金はエネルギーであり、流動しているだけ

数年前にFXをやり始めてから解ったことなんだけど、FXの場合、口座に入金したらポジションを取ってトレード(取引)するんだ。

トレードだから、勝ち負けがあって、誰かが勝てばそこにお金が流れ、誰かが負ければそこからお金が消える。

そんなことをずーーーーっと画面上で見ているとね、「このお金ってどこから着たんだ?」とか「このお金ってどこへ移動したんだ?」って考えるときがあって。

そうやって考え続けていたら、それが「株」だろうが、「FX」だろうが、「仮想通貨」だろうが、「現金」だろうが、「ポイント」だろうが、ただ今そこに在るだけじゃんって結論に行き着いた。それと同時に、誰のものでもないんだなってことを確信したよ。

ただ、今という瞬間においては、誰かの口座にその数字分のお金が在るというのは事実。

だけど、そのお金そのものが誰かのものなるということは絶対にあり得ないということなんだ。

死んだらお金はどこへ行く?

例えばね、死んだらあなたのお金、保険金、貯蓄、年金の残高、家・土地、その他資産価値の有るものは一体どこへ行く?

家族がいれば「遺産」というカタチで引き継がれるかもしれないけど、その一部は税金というカタチで移動するよね。

だとしたらそれは、その人のお金ではなかったということでもある。その人のものであれば、その人の肉体と共に消えるはずだからね。

じゃあ税金の分は、国のものになるかというと、それも一時的なことでしかなく、国の政策の一部に使われるなり、給料というカタチで使われるのかもしれない。

つまり、お金は国が発行しているものの、その役割を担っているだけであり、もはや国のものでもないということだよね。

ていうことを考えた時期があってね、俺が考えるお金という存在は、「エネルギーであり、ただ流動している物質的なもの」という結論に行き着いたんだ。

経済活動とお金のこれからを見直す時期

そういうことを考えては自分なりの結論に行き着いた結果、俺は「経済活動ってくだらねぇな」って思ったんだ。

それがちょうどコロナの時期と相まって余計にそう感じたことを覚えているよ。

だって、コロナ禍になって世界で何が一番困ったか分かる?

「経済の循環」なんだよ。

残念ながら、人が亡くなったことではないんだ。

ウイルスに感染したことで死亡者が多くなり、国の経済状況が悪化して、お金が回らなくなっているのが一番困っているんだよね。

もちろん、その国が何を主義としているかにもよるけど、少なくても資本を主義としている国にとっては間違いないだろうね。日本もそのうちの1つ。

だから、 “経済が主体の景気” に国民は振り回されてしまうのさ。戦争の種だって、経済と資源の奪い合いじゃん。

お金が無くても幸せであれ

十数年もすれば、お金の価値観は激変していくと言われているんだ。

それはどういうことかというと、「お金という存在がなくても機能する循環の仕組みが構築される」ってこと。

簡単にいうと「豊かさの定義が変わる」ってことなんだ。

だから何が言いたいかというと、

今からお金ではなく自分の存在自体に愛と豊かさを感じれるように訓練しておかないと、余計に苦しい体験をする時代になっちゃうよってこと。

ほとんどの人が、お金のため、生活のために「仕事」という活動を人生の大半、費やしてしまっている。

要するにそれが人生の美徳になっているということ。

その価値観が変わってきているから、2020年以降、精神的に苦しい人が続出しているんだ。

「何のために生きているんだ?」ってね。

そこをスルーして生きていくことは可能だけど、今から変えておいた方が余生がもっとエキサイティングで最高に仕上がるよ。

自分のアイデンティティを確立しておかなきゃヤバい時代到来だよ。

今日も読んでくれてありがとう。

DAisuke

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